靖国神社 遊就館見学
12月1日、東京都千代田区九段北にある靖国神社の遊就館に行ってきました。雲一つない青空に黄金色に輝く大きなイチョウの木。そのコントラストは、息をのむほどの美しさでした。
遊就館は、靖国神社境内に併設された同社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館で幕末維新期の動乱から大東亜戦争に至る戦没者、国事殉難者を祭神とする靖国神社の施設として、戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示しています。1882年(明治15年)に開館した日本における「最初で最古の軍事博物館」になります。
「遊就館」という館名の由来は、中国の古典『荀子』勧学篇の「故君子居必擇鄕、遊必就士、所以防邪僻而近中正也」(故に君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就くは、邪僻を防ぎ中正に近づく所以なり)に拠るそうです。
遊就館の玄関ホール内は、無料で利用見学することができ、ゼロ戦やC56型31号機関車、89式15糎加農砲、96式15糎榴弾砲などが展示され、書籍や参拝記念品などを扱う売店や茶寮もあります。エスカレーターを上がっての見学は有料になりますが、社会科見学としての学校団体見学は見学料が免除となります。
このように生徒の興味・関心を高め知識を深める校外学習活動を無料で提供してくれることに、教育関係者の一人として敬意と感謝の気持ちを伝えたいです。
さて、生徒たちは19から成る展示室と大展示室を凡そ1時間半を掛けて見学しました。常設展示は4つのゾーン、「プロローグゾーン」(古代から近世)、「近代史を学ぶゾーン」(明治維新から大東亜戦争)、「英霊の御心にふれるゾーン」、「大展示室・玄関ホール」に分かれています。みな無言で真剣に展示されている資料を見たり、読んだりしている姿をみながら、「君たちはみな幸せだね!」「今の時代に生まれてよかったね。」と心の中で話しかけていました。生徒たちもみな、「自分たちは幸せだ。」「今の時代に生まれて良かった。」と思っていたかもしれません。
今年令和2年は戦後75年でした。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられているという靖国神社、246万余人のうち213万人が大東亜戦争の死者の霊だと言われます。近代のエリアの最後には、戦争で亡くなられた方々、いわゆる『英霊』の方々の写真が展示室一面に並んでいました。国を守るために尊い命を捧げた方々の写真は、戦後に生まれ平和な時代を生きてきた私には直視できるものではありませんでした。
この方々の尊い命の上に、今の平和があるのだろうと思えました。決してこの命を無駄にしてはいけないのだと思えました。
大東亜戦争の展示室では、映画『硫黄島からの手紙』でも知られている栗林中道中将が娘のたこちゃんにあてた直筆の手紙も展示されていました。その他にも太平洋戦争で亡くなった特攻隊員や女性やスポーツ選手が紹介され、遺書や遺族の手紙が展示されていました。死を覚悟していながら、愛する両親、妻、恋人に送った遺書には、目が潤みました。大切な生徒たちと同じくらいの若者の遺書です。なぜ、なぜ、人間魚雷やロケット特攻機なんてものを作ったのか、そして、それでの攻撃を命じるなんて、若者の命をなんだと思っているのかなどという怒りも同時に持ってしまいます。
大展示室には、中部太平洋西カロリン諸島ヤップ島のジャングルで発見された艦上爆撃機「彗星」や、東部ニューギニアのサラモアにおいて基地防空に活躍した「海軍三年式八糎高角砲」、操縦したまま自らも敵艦に体当たりする人間魚雷「回天」、ロケット特攻機「桜花」、戦車第九連隊の戦友が激戦地サイパンより発掘した「九七式中戦車」などの大型兵器や、アジア・太平洋の戦地にて戦後収集された多くの戦跡収集品が展示されていました。
人間魚雷「回天」は、閉ざされた空間に単身で乗り込み、これから死ぬということを思いながら、また愛する人を思いながら、操縦桿を握り水中を進んでいった若者の気持ちを考えると何とも言えない心が締め付けられる気持ちになります。パンフレットによると100余名が身を挺して散っていったとのことです。
また、ロケット特攻機「桜花」は、約1.2トンの火薬を搭載して、上空から敵艦に目がけて体当たりして目的を遂げるという特攻機です。「桜花」と言う名前も桜が美しく咲いて散っていくという姿をイメージさせ、悲しくなります。余分な装備はほとんどついておらず、すっきりとした特攻機は「片道切符」という運命を背負って造られたものなのだと思え、とても切なくなりました。
展示されている資料は10万点にも及ぶので、全ての展示室をしっかりと見学するのにはかなりの時間を要します。今回の見学は1時間半弱でしたので、「もっと見学したい。」という生徒もいました。学校教育の中ではあまり詳しく教えてもらうことのない戦争史だと思いますが、日本人であれば知っておく必要がある自国の歴史をじっくりと時間を掛けて見学してほしいと思いました。
今回お世話になった方
靖国神社「遊就館」
〒102-8246 東京都千代田区九段北3-1-1
生徒の感想
Y.Oさん
靖国神社に参拝したことは1度だけあったが、遊就館に行ったことは今回が初めてだった。靖国神社は日本の平和のために犠牲になった方々を祀る神社なのは知っていたが、詳しいことは知らなかったので、とても勉強になることが多かった。今日の日本の平和の確立までの流れとともに、当時使われていたとされる発掘品なども見ることが出来、貴重な体験だった。軍用機や軍服などを見たときは特に、教科書や写真でしか見たことのない昔の情景のイメージがよりリアルに近づいた気がした。
今回の見学で一番印象に残ったのは、第二次世界大戦時、戦場で亡くなった若者の遺書や残された遺族の思いを知ることが出来る展示室だった。特攻隊として軍用機ごと相手の基地に突入されることが命じられた。もうすぐ死ぬと悟った若い男子学生の方の遺書の展示は特に、当時の彼らの胸の内を考えると言葉にならない気持ちになった。ほとんどの人が、死ぬにもかかわらず、嫌がる様子もなく潔く、往くことを報告するものばかりで、今の平和は犠牲になったたくさんの尊い命のおかげなんだなと有難く思うと共に申し訳のない気持ちになった。また、家族の方々が止めることも許されず、ただ送り出すことしかできないつらさは計り知れないものだろうと思った。今までは、教科書や写真から必要なことだけを抽出されたものから学ぶことしかしてこなかったので、当時その場所に流れていた時間の一片を体験できた様でとても貴重な経験になった。神社も好きなので、また靖国神社、遊就館に足を運びたいと思った。
H.Kさん
靖国神社に訪れるのは、今回で二度目だ。以前はまだ小学生であったため、靖国神社がどういった歴史があり、またどのような立場であるのか理解していなかった。しかし、本格的に日本史を学ぶようになった現在、知識と照らし合わせながら、過去の事実を多少なりとも考察することが出来たと思う。
今回、私が特に興味があったのは、日本政府・日本軍の多角的な情報である。日本史の教科書や参考書にも多くの歴史が記載されているが、それでもすべては網羅されていない。日本側の主張はもちろん、平等な立場で外国側の主張も知ることができたら、歴史をより穿って捉えられるに違いない。
一通りの展示を閲覧して、戦争中を生きた人々が命を懸けて残した様々なものを身をもって感じることができた。印象的だったのは、やはり大展示室の戦闘機である。実物を目の当たりにすることで、非常な戦いが現実で起きていたことなのだと実感させられた。本来の目的であった外国側のエピソードは残念ながら確認することができなかったが、これも一つの歴史であると理解した。
A.Oさん
靖国神社は、親の勤め先が近かったり、中学受験の際に何度も鳥居の前は通ってきたものの、中に入るのは初めてであった。母は遊就館にも入ったことがあるらしく、少し話は聞いていた。だが、ここまで細かく、そしてたくさんの資料があるとは思わなかったため、とても驚いた。
一番印象に残っているのは、戦争で亡くなった方々の写真がとてもたくさん並べられているところであった。ドラマなどで外国への兵役の場面は見たことがあったが、一人一人の写真や名前の下に兵役先の土地の名前が書いてあると、戦争は本当にあったのだなと強く実感した気がした。
また、家族への遺書や血で書かれたメッセージを見ると、家族と離れた地で命を落としていく悲しさをとても感じた。今、もし戦争が起こったらと考えるととても怖いが、兵役をしなければならない男性はもっといろいろな感情があったはずである。今は見えない細菌と戦っているが、戦争に限らず世界が平和でいられることが一番だと思う。何百年何千年と続いていく世であると思うが、平和的解決を常に求める世の中であってほしいと思う。