卒業生保護者田中さん
1対1の授業を受けているうちに自信を持てるようになりました。
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clear友だちへのいじめがきっかけで学校に失望
息子がプラドアカデミー高等学院に入学したのは、1年生の10月でした。 中学を卒業して進学した私立高校では、友達も出来て楽しい学校生活を送っていたのですが、大切な友達がいじめに合ったことをきっかけに、クラスの仲間たち、そして担任教師、学校に対してまでも失望してしまい、転校することを考えるようになりました。 転校するにあたっては、通信制高校に進学している幼馴染の友達、私はそのお母さんに相談にのっていただきました。幼馴染の友達は、通信制高校を選ぶのに20校ほどの学校を見てまわったとのことで、北海道の学校まで見に行ったとのお話でした。そんな中で選んだ学校がプラドアカデミー高等学院だったのです。
プラドアカデミー高等学院で少しずつ自信を取り戻していきました
私と息子は、さっそくプラドアカデミー高等学院にお話を聞きに行きました。当時は、高田馬場に校舎があったのですが、駅から親子で少し緊張しながら歩いていった記憶があります。そこで迎えてくれた先生方は、笑顔で温かく、緊張も一気にほどけた気がしました。そして、教室で1対1で勉強する先生と生徒、それに静かに自習している生徒の姿を目にしました。息子の中にも、私の中にも「ここで新しい高校生活をスタートさせる(させよう)」という気持ちが生まれた瞬間でした。 息子は、そんなに勉強が得意ではありませんでしたが、プラドアカデミー高等学院に入学して、先生と1対1の授業を受けているうちに自分に僅かばかりではありますが自信を持つことが出来ていったと思っています。周りの環境の影響もあったと思います。教室では、志望校を目指して必死で勉強に取り組む同級生たちの姿を目にし、自分も頑張ろうと思ったはずです。「自分には無理だ」とは、たぶん思わなかったと思います。もし思ったとしたら、その時には先生方がいつも励ましてくださっていたのだと思います。息子が大学に行けたのは、プラドアカデミー高等学院のおかげだと心から感謝しています。
現在は大学で取得した資格を活かした仕事に就いています
今、息子は大学を卒業し、大学で取得した資格を活かして児童センターで働いています。生き生きと働く息子の姿、センターに集まる子供たちに注ぐ息子の眼差しを見て、今の私はとても幸せな気持ちです。あの時にプラドアカデミー高等学院に出会えたことが、息子の人生にとっても大きな出会いであったと感じています。
在校生保護者大山さん
勉強していく中で、将来の夢を見つけました。
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clear勉強は苦手だけれど、学校は大好きな息子
次男〇〇は、長男と6歳離れた3月生まれということもあってか、少し過保護気味に育ててしまったのか、何をするのも一人ではなかなかできない子になっていました。靴ひもを結ぶのも小学校高学年になってもままならない、運動も全くできない子でした。 そんな息子が小学校5年生の時に、友達から借りた野球のゲームの楽しさに「野球をしたい!」と野球を始めたのでした。運動音痴だった息子が突然野球をしたいと言い出したので驚いたのですが、自分から何かをしたいと言い出したことに喜びを感じたのを覚えています。 中学校に入り、野球部に所属して毎日休むことなく学校に通っていました。息子は勉強がとても苦手でできなかったのですが、学校が大好きな子でした。周りの友達にも恵まれていたのも学校が好きな一因だったかもしれません。普通は勉強が出来なければ、学校に行くのも嫌になるものだと思うのですが、息子の場合は違っていました。休みたいとか、さぼりたいとか、学校が嫌いになるなんてことは一度もありませんでした。
プラドアカデミー高等学院のアットホームで穏やかな温もりのある雰囲気に惹かれました。
中学3年生になり、進路を決めるとき、息子の成績と実力を考えた時、受験できる学校はそう多くはないと思いました。彼も同じくそう思っていました。エンカレッジスクール、チャレンジ校の受験をするも、結果は不合格でした。 私は、息子のためにこれから進学できる高校を探しました。色々と探していた時に見つけた学校がプラドアカデミー高等学院でした。 息子と学校を訪問すると、教室の入り口で合格者速報の垂れ帯が目に飛び込んできました。早稲田大学〇〇学部合格、早稲田大学△△学部合格、上智大学□□学部合格…と言ったそうそうたる大学に合格しているサポート校。「すごいなぁ…」と思いました。 学校の説明を息子と二人で聞いて、教室を案内していただいて感じたのは、すごい大学にたくさん合格するサポート校だけど、アットホームで穏やかな温かさのある雰囲気でした。いわゆるガリ勉たちの集まりではなく、生徒たちや先生からは優しさが感じられました。息子には、まだ「大学」という目標どころか進学する「高校」さえ決まっていなかったのですが、ここに入学したら息子も分からない勉強を基礎からしっかりと教えてもらえると確信しました。そして、迷うことなくプラドアカデミー高等学院に入学することを決めたのです。
恋愛相談までしていた息子。何でも話せ、相談できる先生がいることで心が安定します。
プラドアカデミー高等学院に入学してからすぐにオリエンテーションのバス旅行があり、とても楽しかったようで色々と話をしてくれました。月に1度の総合学習プログラムや体育スクーリングは、彼にとって楽しみの一つになっています。 レポート授業では、高校生レベルの学力が備わっていない息子にも先生が丁寧に教えてくださって、レポートも毎日1枚ずつこなしているようでホッとしています。 まわりの生徒さんがみな、大学を目指して勉強しているという環境の中で、息子も将来は海外に行って仕事をしたいという夢を描いたようです。4月から始めたアルバイトで学費を少しずつため、勉強をしようと頑張っています。なんでも話せる、なんでも教えてくれる、なんでも相談にのってくれる先生がいることが息子にとっても私にとっても嬉しいことであり、信頼できることです。 プラドアカデミー高等学院に息子を進学させて、本当に良かったと思っています。
卒業生保護者石田さん
私と息子の学校探しの旅は、プラドアカデミー高等学院が終着駅となりました。
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clear中高一貫校に進学したものの不登校になってしまった息子
小学校時より塾通いをして入学した私立中高一貫校の中学校。東大など最難関国立大学を目指す学内でも一番上のコースに籍を置くことができました。 しかし、息子がそんな学校から足が遠のいていくのに時間は掛かりませんでした。原因というものは、1つではなかったと思います。息子と共に考えてみると、あれもこれも…と色々あったのだと思います。 不登校になっても中高一貫校の高校に進学することができました。 しかし、コースは最難関のコースではなく普通のコースに切り替えていただきました。それでも、息子が学校に登校できるようにはなりませんでした。私は、不登校生を持つ親のための勉強会に出席してみたりと息子の今後のことを按じていました。 そんな時に、息子と私は環境を変えて再スタートをすることを決心いたしました。
再スタートに向けた親子二人三脚での学校探し旅は、プラドアカデミー高等学院が終着駅となりました。
それから、息子と二人で10校ほど、いや10校を越していたかもしれない数の学校を見学しに行きました。 息子は不登校であったのですが、自分の目で見て、自分で納得できる学校に転校したいと思っていましたし、私もそれを望んでおりましたので、全ての学校を二人一緒に見学に行ったのです。見学に行くと、帰宅してから二人で「今日の学校はここが良くなかった」「ここがこうであってほしいと思った」「なんか、自分が求めている学校と違う感じがした」と感想を発表し合うことが常となっていました。 そして、巡り合ったのがプラドアカデミー高等学院でした。 プラドアカデミー高等学院は、私が行った学校の中で一番良い印象を持ったのですが、「息子はどうだったのだろう…」と気になりました。そうしたら、息子の決断は「お母さん、プラドアカデミー高等学院に転校することにするよ」というものでした。私と息子の学校探しの旅は、プラドアカデミー高等学院が終着駅となりました。
卒業してからも学校行事お手伝いや先生・後輩との交流など、学校とのつながりを現在も大切にしています。
二人で選んだ学校です。息子は入学してから卒業するまで、登校することができました。入学するときに、「小規模の学校なので、友達はできないかもしれませんが…」と言われたそうですが、息子には今も付き合いを続ける友達もできましたし、卒業してから何年も経つ学校に在籍する後輩の友達もできました。そして、今でも喜んで学院のイベントに参加したり、お手伝いをしたりしている息子を見て、本当にプラドアカデミー高等学院に入学させて良かったと感じています。 こんな私ではありますが、できればプラドアカデミー高等学院に籍を置く生徒の親御様方のお力になれたらと常に思っています。不登校であった息子がプラドアカデミー高等学院に入学し、立派な社会人として成長できた、その経験がお役に立つならば、いつでも協力を惜しまない、いや、いつでも協力したいと心より思っております。
在校生保護者田中さん
プラドアカデミー高等学院には、いつでも相談にのってもらえる環境がありました。
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clear小2から不登校の息子と向き合うことが出来たのは・・・
我が息子は、ADHD(「自閉症、アスペルガー症候群 その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、 その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢 において発現するもの」 発達障害を抱える人は、100人に 1人とも言われています。)で小学2年生から学校に通っていませんでした。 まだまだ小学校に入学して間もない小さな息子が学校に行けなくなったのです。 これから進んでいくであろう中学校・高校・大学へと続く長い学校生活を考えるにつけ、母親である私は自分を責め、葛藤し、苦しい日々を過ごしていました。 ただ、そんな日々は私自身が病気について学び、彼自身が抱えている様々な辛いことを理解できるようになり、彼の気持ちを尊重して見守ることができるようになったときに、正面から向き合っていけるようになりました。 息子は、不登校の間に絵画やパソコン、英会話を学んだり、フリースクールでピアノを教えていただいたり、塾で勉強をしたりしていました。子供は強制するのではなく、本人がやりたいことを自由に学ばせることによって伸びていくと思っています。
プラドアカデミー高等学院で学ぶ教師と生徒の姿は、常に真面目で前向き。いつ訪れても変わることはありません。
さて前置きが長くなってしまいましたが、息子と私がプラドアカデミー高等学院を初めて訪れたのは中学3年生の8月のことでした。ちょうど夏期講習をしている時でした。鈴木先生に学校の説明をしていただき、教室で教師と生徒が学ぶ様子を見学させていただきました。そして、平常授業をしている様子も見てみたかったので9月にもう一度教室を見学させていただきました。いつ訪れても教室で学ぶ教師と生徒の姿は同じでした。決して校舎が広いわけでも、設備が十分なわけでも、大きな学校でもない。でも、この学校が息子には合っているのだと確信しました。
今、先生方のサポートを受けながら、全力で志望校合格を目指して頑張っています。
入学してから2年半が過ぎ、もう少しで大学受験の本番となり、3月には卒業となります。今、思うことは「プラドアカデミー高等学院にして良かった。」ということです。入学時より第一志望は東京大学と言っていた息子の学習プランと学習指導、ADHDの息子の精神的サポート、いつでも相談にのってもらえる環境が提供されました。それらは息子にとってとても重要なものでした。「プラドアカデミー高等学院の最大の魅力は教師と生徒だ!」と先生がおっしゃっていましたが、本当にプラドアカデミー高等学院の先生方はみな熱心なご指導をされ、また担当生徒以外の生徒にも気軽に声掛けをしてくださいます。生徒たちもみな他人を思いやる心をもっていて、励ましてくれます。息子は今、最難関の大学を目指して頑張っています。今まで息子が頑張ってこれたのは、小さなころから今までお世話になってきた全ての人のおかげだと思っております。巡り合えた人、そして巡り合えたプラドアカデミー高等学院に感謝の気持ちでいっぱいです。